映画の記憶・・・小・中・高…80年代

投稿者: | 2013/02/02

初めて観た映画は何だろう? 記憶では、親戚の家でいとこにもらった割引券がキッカケだった。
その映画は『ガメラ対宇宙怪獣バイラスW湯浅憲明W(1968/大映)。

『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』湯浅憲明(1968)

地元の映画館は、県庁所在地→隣りの市→わたしの市、と順にフィルムが降りてくる、3番館に位置していた。「日本映画データベース」で調べてみると、同時上映は『妖怪百物語W安田公義W(1968/大映)。幼稚園の夏休みに観たのだろう。

小学校のころに観た映画は何か? 劇場で観たものを「日本映画データベース」から抜き出してみる。(年月日は公開日)

1968.12.14 妖怪大戦争 (1968年の映画)W黒田義之W/大映)
1969.07.20 飛び出す冒険映画 赤影W(倉田準二/東映)
1969.12.20 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃W本多猪四郎W/東宝)
1970.03.21 ガメラ対大魔獣ジャイガーW(湯浅憲明/大映)
1970.08.01 ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣W(本多猪四郎/東宝)
1970.09.23 ママいつまでも生きてね(池広一夫W/大映)
1971.07.17 ガメラ対深海怪獣ジグラW(湯浅憲明/大映)
1971.07.24 ゴジラ対ヘドラW坂野義光W/東宝)
1971.09.24 父ちゃんのポーが聞える(石田勝心W/東宝)
1972.03.12 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガンW福田純W/東宝)
1972.06.24 札幌オリンピック (映画)W篠田正浩W
1972.08.12 海軍特別年少兵W今井正W/東宝)
1973.03.17 ゴジラ対メガロW(福田純/東宝)
1973.12.29 日本沈没W森谷司郎W/東宝)
1974.08.03 ノストラダムスの大予言 (映画)W舛田利雄W/東宝)

3番館なので、「東宝チャンピオンまつりW」や「東映まんがまつりW」の枠は無く、一般映画と組み合わせての興行だった。「ゴジラシリーズ」は低迷しており、1971年に大映Wは倒産。アニメブーム以前であり、東映動画Wの長編アニメはほとんど観ておらず、特撮映画が中心だった。

『ママいつまでも生きてね』池広一夫(1970)

『ママいつまでも生きてね』は、私のトラウマ映画!! 主人公の少年が難病(癌)で死ぬのだが、「死」というモノを知らなかった私は、この映画に恐怖した。

中学校のころは、大して映画を観ていない。

1974.12.28 伊豆の踊子W西河克己W/東宝)
1974.12.28 エスパイW(福田純/東宝)
1976.10.16 犬神家の一族 (1976年の映画)W市川崑W/角川映画)
1977.06.04 八甲田山 (映画)W(森谷司郎/東宝)
1977.10.01 幸福の黄色いハンカチW山田洋次W/松竹)
1977.10.08 人間の証明W佐藤純彌W/角川)
1977.12.17 惑星大戦争W(福田純/東宝)
1977.12.17 霧の旗W(西河克己/東宝)

山口百恵Wの文芸映画と、シナノ企画Wの大自然パニック物。・・・そして角川映画Wが始まった。

私の映画体験は、<角川映画>である!!

高校生になると、映画を観る場所を、→隣りの市→県庁所在地、そして東京!!】へと、拡げてゆく。

1978.04.29 宇宙からのメッセージW深作欣二W/東映)……隣市
1978.07.15 キタキツネ物語W蔵原惟繕W/東宝東和)
1978.08.05 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たちW(舛田利雄/東映)……県庁市
1978.08.19 高校大パニック (1978年)W澤田幸弘W石井聰亙W/日活)…東京(試写)
1978.08.19 帰らざる日々(藤田敏八W/日活)
1978.09.23 聖職の碑W(森谷司郎/東宝)
1978.10.07 野性の証明W(佐藤純彌/角川映画)……隣市
1978.10.07 ダイナマイトどんどんW岡本喜八W/大映)
1979.01.20 悪魔が来りて笛を吹くW斎藤光正W/角川映画)……東京(試写)
1979.07.14 金田一耕助の冒険W大林宣彦W/角川映画)……東京
1979.08.04 蘇える金狼W村川透W/角川映画)……隣市
1979.08.04 銀河鉄道999 (アニメ)WりんたろうW/東映)……県庁市
1979.09.08 エースをねらえ!W出崎統W/東宝)……東京
1979.10.06 太陽を盗んだ男W長谷川和彦W/東宝)……東京・文芸坐
1979.12.05 戦国自衛隊 (映画)W(斎藤光正/角川映画)……隣市
1979.12.15 ルパン三世 カリオストロの城W宮崎駿W/東宝)……隣市
1980.04.01 ツィゴイネルワイゼン (映画)W鈴木清順W/シネマ・プラセット)…東京
1980.04.26 桃尻娘W プロポーズ大作戦(小原宏裕W/にっかつ)
1980.04.26 影武者 (映画)W黒澤明W/東宝)……東京
1980.06.26 復活の日W(深作欣二/角川映画)……東京
1980.07.26 翔んだカップルW相米慎二W/東宝)……隣県

自分を映画に向かわせたモノは何だろうか?

アニメブームからの・・・『銀河鉄道999』と、・・・『ベルサイユのばらW』『あしたのジョーW2』の「出崎統」。角川映画が頂点を極めた『復活の日』と、東宝の森谷司郎作品から・・・「木村大作W

1980年代・・・、私は映画を、撮影監督で観ていた。「木村大作」「森田富士郎」「前田米造」「仙元誠三」「田村正毅」「阪本善尚」「長沼六男」・・・絵柄を見れば、誰が撮ったか当てられた。

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 木村大作 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

『復活の日』(監督:深作欣二/撮影:木村大作/1980/角川映画)
『復活の日』深作欣二(撮影:木村大作/1980)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 森田富士郎W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

伊賀忍法帖W(監督:斎藤光正/撮影:森田富士郎/1982/角川映画)
『伊賀忍法帖』斎藤光正(撮影:森田富士郎/1982)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 前田米造W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

ときめきに死すW(監督:森田芳光W/撮影:前田米造/1984)
『ときめきに死す』森田芳光(撮影:前田米造/1984)

そろばんずくW(監督:森田芳光/撮影:前田米造/1986)
『そろばんずく』森田芳光(撮影:前田米造/1986)

マルサの女W(監督:伊丹十三W/撮影:前田米造/1987)
『マルサの女』伊丹十三(撮影:前田米造/1987)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 仙元誠三W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

セーラー服と機関銃W(監督:相米慎二/撮影:仙元誠三/1981/角川映画)
『セーラー服と機関銃』相米慎二(撮影:仙元誠三/1981)

ア・ホーマンスW(監督:松田優作W/撮影:仙元誠三/1986)
『ア・ホーマンス』松田優作(撮影:仙元誠三/1986)

キッチン (映画)W(監督:森田芳光/撮影:仙元誠三/1989)
『キッチン』森田芳光(撮影:仙元誠三/1989)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 田村正毅W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

逆噴射家族W(監督:石井聰亙/撮影:田村正毅/1984)
『逆噴射家族』石井聰亙(撮影:田村正毅/1984)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 阪本善尚W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

ねらわれた学園 (1981年の映画)W(監督:大林宣彦/撮影:阪本善尚/1981/角川映画)
『ねらわれた学園』大林宣彦(撮影:阪本善尚/1981)

異人たちとの夏W(監督:大林宣彦/撮影:阪本善尚/1988)
『異人たちとの夏』大林宣彦(撮影:阪本善尚/1988)

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ 長沼六男W ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆

魚影の群れW(監督:相米慎二/撮影:長沼六男/1983)
『魚影の群れ』相米慎二(撮影:長沼六男/1983)

V.マドンナ大戦争W(監督:中村幻児W/撮影:長沼六男/1985)
『V.マドンナ大戦争』中村幻児(撮影:長沼六男/1985)

光る女W(監督:相米慎二/撮影:長沼六男/1987)
『光る女』相米慎二(撮影:長沼六男/1987)

座頭市 (1989年の映画)W(監督:勝新太郎W/撮影:長沼六男/1989)
『座頭市』勝新太郎(撮影:長沼六男/1989)

東京に出た80年代は、50本→100本→150本→200本と年間に劇場で観る映画の本数が増えていった。欠かさず観る監督も、森谷司郎大林宣彦→→相米慎二・井筒和幸W→→市川準北野武と変わってゆく。

相米慎二:『魚影の群れ』(1983)・『ラブホテル (映画)W』(1985)・『光る女』(1987)
森田芳光:『ときめきに死す』(1984) ・『そろばんずく』(1986)・『キッチン』(1989)
井筒和幸:『(金)(ビ)の金魂巻』(1985)・『二代目はクリスチャンW』(1985)
がマイベスト。・・・そして、作り手の “映画をつくろう” とする意志に打たれる3本『…党宣言』『Ronin』『コミック雑誌…』。

生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言W
(監督:森崎東W/撮影:浜田毅W/1985)
『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』森崎東(1985)

幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬W(監督:河合義隆W/撮影:押切隆生/1986)
『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』河合義隆(1986)

コミック雑誌なんかいらない!W(監督:滝田洋二郎W/撮影:志賀葉一W/1986)
『コミック雑誌なんかいらない!』滝田洋二郎(1986)

ふりかえると80年代は、多くの萌芽に満ちていた。黒澤明の『影武者』(1980)・『乱 (映画)W』(1985)が海外資本との提携でつくられ、『戦場のメリークリスマスW』(大島渚W/1983)・『ブラック・レインW』(リドリー・スコットW/1989)のようなグローバルな大作があり、宮崎駿の『風の谷のナウシカ (映画)W』(1984)・『となりのトトロW』(1988)、押井守Wの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーW』(1984)、ガイナックスWの『王立宇宙軍 オネアミスの翼W』(1987)でアニメーションが子供のもので無くなり、フジテレビジョンは『南極物語W』(蔵原惟繕W/1983)・『子猫物語W』(畑正憲W/1986)・『優駿 ORACIONW』(杉田成道W/1988)で品質と興行を両立させ、北野武Wが『その男、凶暴につきW』(1989)を撮る。

『その男、凶暴につき』(監督:北野武/撮影:佐々木原保志/1989)
『その男、凶暴につき』北野武(1989)

80年代は、まだ映画の主導権が現場(映画会社)にあった。製作費は、映画館の興業収入で見積られており、TVでの放映料は、おまけの臨時収入に過ぎなかった。80年代後半〜90年前後のバブル景気Wに、映画への投機が拡大し、TV局が参入する。映画会社も不動産業に走り、製作部門を切り捨て、配給するだけの小屋へと変わる。レンタルビデオ店がチェーンを拡げ、衛星放送による多チャンネル化が始まり、90年代には、とうとうTV放映やレンタルビデオなどの二次使用料が、映画館での興行収入を上回る。資金力が無いのだから、映画会社や製作プロダクションの発言権は失われ、映画を作り続けてきたわけではない “出資者” の声が大きくなる。

それから現在…、技術を伝承するシステムが無いまま、映画は、個々人の技量と人脈で続いている。しがらみも無いし、守らねばならないルールも無い。しかし総合力は無く、個人の力量に左右される。突然に何かが現れるが、持続する力は無い。80年代は 撮影所の人材たち の最後の輝きだったといえる。


Pocket