シド・フィールドとアンチ

おかむーBLOGシナリオ,三幕構成

2009年に出た、シド・フィールドSyd Field)の翻訳本『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』を読んで驚いた! 脚本を書くにあたって、最初に決めるべきは、クライマックスだと言うのだ。

別冊宝島144 シナリオ入門

別冊宝島144の『シナリオ入門』で、シド・フィールドはそんなこと言ってたか? と思って読み直したら、1行だけ、書いてあった。

最初に結末を。次に発端。それからプロットポイント I 、プロットポイント II を選びなさい

全然、印象に残っていない……。

岡田勲さんのところで習った「ストーリーアナリスト講座」でも、講師のピーターは一度もそんなことを言っていない。主人公は、問題点を克服するために、目的を達成するために、欲するものを手に入れるために、行動を起こす。そしてそれを妨げる敵対者がいて、主人公を妨害し、主人公の外面と内面で、対立と葛藤が生じる。

シナリオセンター8週間講座で、講師の仲村みなみ先生は、同僚の講師である浅田直亮先生の考察として、興味ぶかい指摘を教えてくれた。浅田先生曰く「シド・フィールドに無くて、新井一にあるのは、アンチだ!!」
シナリオセンターの創設者である新井一氏は、「起承転結のを最初に決め、その真逆にを設定せよ」と教えた。シナリオセンターの新井メソッドで強力なノウハウの一つは、このアンチなのだ。

(なので私は、「だからシナリオセンターはダメなんだ」と思っていた)
人生の縮図である物語を、結論からの逆算でつくるなんて、複雑な深みのある綾が作れるはずはない。
ハリウッドの目的から、紆余曲折して、着地点がわからず進んでゆく物語こそが、人生ではないか!
冒頭から書くか? 結末から書くか?
それが、魂のこもった芸術作品と、経済効率を優先した商業作品との、差だと考えていた。
なのに……なのに……シド・フィールドが、クライマックスから決めろと言うなんて……。

シナリオ第一課(小林勝)

小林勝さんの昭和35年の著作『シナリオ第一課』で、作品に一番重要なのは統一だと論じられていた。

シナリオ第一課・・・野田高梧さんの『シナリオ構造論』のなかで、何回も引用される、同時期に書かれたシナリオ作法の入門書。小林勝さんは戦前に、日活やP.C.L(ピー・シー・エル映画製作所)で脚本を書き、ジョルジュ・ポルティGeorges Polti)の「劇的境遇三十六」を『映画評論』で紹介した。

小林勝(『キネマ旬報別冊 シナリオ読本』1959年5月号)
小林勝

そうか、クライマックスから逆算してゆくのは、統一のためなのか! そう考えると、納得できる。余分なものを削ぎ落とし、統一するために構成を考えてゆくと、必然的にクライマックスから考えざるを得ない。

シナリオをどこから書き始めるか。それは大事な問題で、人によってやり方は異なるのだろう。

シナリオ構造論(野田高梧)

シナリオ構造論』で野田高梧さんは、「性格か構成か」と問うている。性格=キャラクターを作り、その性格がどこへ・どこまで走ってゆくかを見極めようと書いてゆくか、それとも構成という全体図を俯瞰し、論理的に書いてゆくか。

小池一夫さんは「キャラクターでは喰えるが、ストーリーでは喰えない」と言っている。作品は単品売りであり、キャラクターはシリーズ化というフランチャイズだと説く。劇画村塾は、キャラクターを選択した結果だ。

新藤兼人さんは『シナリオの構成』で、「ストーリーの展開か、人間心理の追究か」と問う。新藤さんも、この二者で迷いながら書いている。

二元論では無く、共存できるし、両方必要なことだけれども、どちらを重視するか、足の置き場を決めないと、腹を据えて書けない。選択しないと、スタートできない。さて、私は誰を信仰するか? どの立場を選ぶか?