アジャーニの七変化『ポゼッション』
私が最も偏愛する映画、好きな映画は?と訊かれて答えるタイトル、自分にとってのカルト、それがイザベル・アジャーニ主演『ポゼッション』(1981)だ。
役者というモノは、これみよがしに極端な演技をしたがるものだ。その極み。ゆくところまでイッてしまっているがために、強烈な印象を残し、俗悪であると同時に崇高である、奇跡を呼んでしまった映画。美しく・気高く・狂っていて・力強い、情念の演技。認めざるを得ない、究極のやりたい放題。
以下のキャプチャ画像を見て欲しい。1本の作品のなかで、これだけ幅のある豊かな表情が羅列する映画があるだろうか?
監督のアンジェイ・ズラウスキーは、アジャーニの感情を多方向から切り取り、引きずり出す。アジャーニは、いっぱいになった感情を、愛人であるブリュノ・ニュイッテンのキャメラに向かって、惜しげもなく、叩きつけ、吐き出す。そこには感情しか無い。アジャーニの表現には、感情しかなく、だからこそ、感情だけが際だつ。役者とは、感情を表現するための生きものだから。
単身赴任から戻ってきたサム・ニールを待っていたのは、孤独に打ちのめされた妻だった。妻は夫が、自分と同じ孤独を共有していなかったことをなじる。
冷え切ってしまった妻と夫の関係を、さらに突き放すように、妻は、自分には心を奪われてしまった別の相手がいると告白する。
夫は、息子を送っていった学校で、妻にそっくりな若い女性に出会う。
夫を拒絶した妻は、夫に殴られる。自分自身をさげすみながら、理解できない夫に向かって、不敵な笑いを見せる。
キリスト像を見上げながら、救いを求め、声にならないうめきをあげる。自分はケガレてしまった……。神を裏切った自分は、もう神に面と向かって助けを求めることはできない。
妻は何かにとりつかれ、その分泌物を口から吐く。
妻にそっくりな若い女性は、どんどん聖化され、夫にとって理想の存在になってゆく。(妻がどんどん異形のものへと変わってゆく、……逆像)
妻が交わっているのは、妄想が実体化した化け物だ。それは筋肉と触手で、女を快楽へと導く。そこでは、性の恍惚以外のものは、切り捨てられている。
夫と妻は抑圧に耐えきれず、自害する。そこに、もう一人の夫と妻が現れる。新たな存在は、二人に乗り変わろうとたくらんでおり、そのたくらみが成功したことを満足げに笑う。
乗り変わった存在<影>が、<聖>の象徴である、妻にそっくりな若い女に近づく。<聖=人民>は常に危険にさらされ、欲望と疑いのなかで自滅し、新たな存在に取って変わられる。
以下、20100924追記。DVDニューマスター版が出ましたね。
アジャーニ、美し〜いいい!! 恐ぇーーーツ!!