ハリウッドの基本的教養に頭がさがる
アントン・チェーホフの短篇集を読んでいたら、興味ある描写に出会った。
(以下、前半を半分程度に抜粋)
『偏見のない女』(チェーホフ・ユモレスカ/松下裕 翻訳/新潮文庫)
マクシム・クジミーチ・サリュートフは、背が高くて肩幅の広い逞しい男だ。体格はスポーツマン・タイプといっていいだろう。力はあきれるほどある。互角に戦える人間は地上にはいない。これまで何かにひるんだのを見たことがない。
この怪物じみて人間ばなれのした、雄牛のような力も、マクシム・クジミーチがエレーナ・ガヴリーロヴナに恋を打ちあけたときには、踏みつぶされた鼠のように、無に等しかった! マクシム・クジミーチは、その大きな口から「あなたを愛します!」というたったひと言を絞り出さねばならなかったときには、青くなったり赤くなったりして、椅子ひとつ持ちあげることができなかった。
彼はスケート・リンクで恋を打ちあけた。彼女は羽根のように軽々と氷の上を動きまわっていたが、彼はそのあとを追いかけながら、震えたり、すくんだり、ひとりごとを言ったりしていた。顔には苦悩の色が浮かんでいた……。彼は一つの先入主に苦しんでいたのだった。
「おれにこの人の夫になる資格があるだろうか。いや、ありはしない! もしもこの人がおれの生まれを知ったら、もしも誰かがおれの過去をこの人にぶちまけたら、おれはきっとびんたを食らうことだろう! 恥かしい、不幸な過去! すばらしい人、教育もあるこの人は、おれがどこの馬の骨かを知ったら、唾を吐きかけるにちがいない!」
おおっ! 『ロッキー』ではないか!! シルヴェスター・スタローンは、チェーホフを読んでいて、スケート場のシーンをイメージしたのか?? アカデミー賞脚本賞ノミネートは伊達じゃない!!
ハリウッドの映画人には、過去の作品群へのリスペストと、勤勉さに裏打ちされた知識を感じる。
『ロッキー』では、老トレーナー役に、バージェス・メレディスをキャスティングする。これは、ジョン・スタインベックの『二十日鼠と人間(Of Mice and Men)』を想起せずにはいられない。知的障害があり怪力を持つ大男:レニーが、スタローン演じるロッキーに通じる。孤独で兄貴風を吹かせる気の強い老師が、ジョージ/老トレーナー(ミッキー)だ。『廿日鼠と人間』(監督:ルイス・マイルストン)の二人を重ね合わせると、『ロッキー』の二人の関係性がより理解できる。
『ロッキー2』監督&脚本:シルヴェスター・スタローン(1979)では、お約束のフィラデルフィア美術館の階段を駈け上がるシーンで、サイレント期の傑作『セブン・チャンス(Seven Chances)』バスター・キートン(1925)を引用する。
人気のシナリオ講座を持つ、ロバート・マッキーが登場する、『アダプテーション』脚本:チャーリー・カウフマン/監督:スパイク・ジョーンズ(2002)では、「観客を楽しませるエンターテイメント目指せ」と教えられた主人公が、次々とピンチにおちいり、とうとうワニに襲われる。「ワニかよ!!」と唖然とする。
この原点は、メアリー・ピックフォード主演の『雀(Sparrows)』(1926)だ。サイレント期に、メアリー・ピックフォードは自らの映画製作会社を持ち、スタジオに沼を作り、本物のワニを放ち、大ヒットを飛ばした。ワニ(アリゲーター)は、映画初期の興行的成功の象徴なのだ。
最近出た『パシフィック・リム』Blu-ray/DVDのオーディオ・コメンタリーで、監督のギレルモ・デル・トロは、本多猪四郎と円谷英二の名をあげ、『ゴジラ (1954)』の素晴らしさは、本多と円谷にドキュメンタリーの素養があったからだと言う。怪獣デザイナーとして渡辺明と成田亨の違いを語り、日本のロボットものは意志のないメカであることに特徴があると主張し、横山光輝の『鉄人28号』と永井豪の『マジンガーZ』を紹介する。
映画に対する知識量が、圧倒的に違う。「オタクだから」「マニアだから」では無く、専門家なのだから、映画製作者はオタクでありマニアであるべきなのだ。論理的に語ることで、相手を説得する。映画史を引用することで、資本家を手中にする。巨大予算を動かすスキル。そこにハリウッド映画人の力を感じる。