昔メソッド、今はインプロヴィゼーションか
演技の指導者たちを、映像で見ることはむずかしい。だが、その姿をみることで、その演技に対する真摯な取り組みを垣間見ることはできる。
アクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグ(1901-1982)は、『ゴッドファーザー PART II』(1974)に出たことで、晩年、何本もの映画に出演した。『ゴッドファーザー PART II』では、大物の黒幕を、ソファーに横になる、独特の姿勢で表現する。これは紋切り型へのアンチだ。
ネイバーフッド・プレイハウスのサンフォード・マイズナー(1905–1997)は、『ER緊急救命室』(1995)にゲストとして出演し、瀕死の老人として、われわれの前に姿をさらす。晩年は声帯切除の手術を受け、特殊なマイクを首に押し当てて話していたという、話せない人物そのままを、映像に残した。
モスクワ芸術座からヨーロッパ、そしてアメリカへ渡った、マイケル・チェーホフ(1891-1955)は、アルフレッド・ヒッチコックの作品で、イングリッド・バーグマンと共演している。この『白い恐怖』(1945)を観ることで、ルドルフ・シュタイナーの影響を受けたという、身体性による演技訓練を指導していた、マイケル・チェーホフ本人の演技を見ることができる。
「型」による演技を破るために、「スタニスラフスキー・システム」が始まり、1950年代からのハリウッド映画は「Method acting(メソッド演技法)」とともにあったと思うのだが、今は、偶発性や多様性が求められ、よりドキュメンタリーに近い、「即興・即興劇」(Improvisational theatre)の能力が、重要になってきたように思う。
このところ、「インプロ」「シアターゲーム」「アイスブレイク」といったタイトルのついた本を、乱読していた。
即興の原点は、「コンパス・プレイヤーズ」(1955-1958)というシカゴの劇団にあり、ここに私が好きなマイク・ニコルズ(1931-2014)やエレイン・メイ(1932-)が参加していたことを初めて知った。
エレイン・メイは、私の大好きな『トッツィー』のシナリオに関わり、まさに即興としか言えないズルズル感とリアリティを持った『マイキー&ニッキー/裏切りのメロディ』を監督した。
この主演であるジョン・カサヴェテス(1929-1989)は、即興演出でつくられた数々のインディペンデント映画を残した。
その後、「セカンド・シティ」(1959-)が生まれる。アラン・アーキン、ハロルド・ライミス、エリック・ロス、ジョン・ベルーシ、ジョン・キャンディ、ビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、ユージン・レヴィ、マイク・マイヤーズ、スティーヴ・カレル、アダム・マッケイ、ティナ・フェイ、と出身者を並べただけでもスゴイ。
ここに、『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』(1975-)の、エディ・マーフィ、ロブ・シュナイダー、アダム・サンドラー、ウィル・フェレルを加えれば、いかに「インプロブ(improv)」が映画に貢献しているかがわかる。
映画では、マイク・リー(イギリス/1943-)の作品群が「即興でつくられている」として知られている。
しかし、マイク・リーの「即興」は、人物の造形をリアルにしてゆくために使われていて、役者の出してきたものをすくい上げてドラマに構築してゆく、「役を生きる」ための方法だと言える。「即興」を繰り返して精度を高めてゆくのだ。
それに対し、このコメディ出身者たちの「即興」は、シナリオに書かれていないものを試し、無意識から何か生まれて来ないかの実験のための演出法だ。「即興」は繰り返すことはできず、それが日々生きている日常と同じリアリティを生みだす。
今回、アダム・マッケイのDVDやBlu-rayを大人買いしてしまった。特典映像に、メイキングや削除シーン・NG集が満載なのだ。まさに「即興」でいろいろな表現が試されてゆく。
「インプロヴィゼーション」のルールは、魅力的だ。「失敗をどんどんしよう」「上手くやろうとするな」 つまり、緊張をなくし、自然体を目指すのだ。それは信じられる演技につながり、役の人生を“ふつう”に生きることにつながる。それは自由であり、人を肯定し、悪も悲しみも受け入れる。