ミスリードとは嘘をつくことなのか?
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』は、映像の美しさと、知的な接近遭遇の描写で、おもしろく観た。しかし、“話” に違和感を感じた。ほんとうの物語は、知識を得た彼女が、これから先どう生きて行くか、そのほうが難問であり、私はそちらを観たい。
その私が観たいシーンは、フラッシュバックとして、冒頭をはじめ、各所にインサートされているわけだが、ちょっと待て……。あのラストから展開する回想は、あれで良いのか? それは辻褄があっているのか?
あの事実を知った彼女の反応は、通常とは違うものになるはずだ。なのに、なんであんな一般的な感情の表出で済むのか? 予期していたことに出会った反応と、突然の事に驚くときとの反応は異なるはずだ。だったら、あの回想は、誠実ではない。嘘をついている。
![『メッセージ』 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ(2016)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/arrival-1024x428.jpg)
そんなモヤモヤしているままに、ジェシカ・チャステイン主演の『女神の見えざる手』を観る。初回は痛快で、主人公のたくらみに大拍手をおくったのだが、ちょっと待て。主人公は、秘めた計画を心の裏に隠して行動している。ならば、果たしてそう描かれているか?
![『女神の見えざる手』 監督:ジョン・マッデン(2016)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/sloane.jpg)
さまざまな外圧で、主人公は疲弊する。追い込まれた主人公は、秘めた企みを隠しているような姿は見せない。独りになっても、企みは無いように演出される。弱気なリアクションをする主人公を見て、観客はだまされる。
ミスリードとは、嘘をつくことなのか?
大どんでん返しの名作として名高い、『ユージュアル・サスペクツ』で確認してみる。全篇にわたって、あいまいだ。
![『ユージュアル・サスペクツ』 監督:ブライアン・シンガー(1995)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/soze.jpg)
ケヴィン・スペイシーの反応は、明確ではない。映画という虚構のなかでの演技と、劇中でのさらなる演技、その押し具合(push)の差がわからない。語られる内容が、主観なのか客観なのかで芝居が変わるはずだが、そこも演出的に分けていない。
ジェシカ・チャステインやケヴィン・スペイシーが、この自身の演技に、異を唱えないのだろうか?
まず芝居は、プロデューサーの方針や、監督の意図によって決まる。雇い主からの依頼にしたがって演技する。だから、その指示が「嘘をつけ」というものだったら、「嘘をつく」ことが優秀な役者だ。加えて、ハリウッドでは、テイクごとに違う芝居を要求される。いろいろなバージョンを撮り、編集で取捨選択できることが良しとされる。ジェシカ・チャステインもケヴィン・スペイシーも、上手いがゆえに、矛盾やあいまいさを含んだ偽りの芝居を、バリエーションとして演じてしまう。
しかし、私は納得できない。嘘でミスリードされても、嬉しくない。フェアじゃない。嘘をつかなければ、ストーリーテリングが成立しないのか?
ビリー・ワイルダーの『情婦』には、どこにも嘘はない。タイロン・パワーの悪人顔を利用し、マレーネ・ディートリヒを悪女として描くことで、嘘を避ける。
![『情婦』 監督:ビリー・ワイルダー(1957)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/witness.jpg)
M・ナイト・シャマランの『シックス・センス』も、“主人公が、なぜ気づかないか?” の一点を除き、嘘はない。見直しに耐えられるようにつくっている。
![『シックス・センス』 監督:M・ナイト・シャマラン(1999)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/sixth_sense.jpg)
嘘をつかなくともミスリードは可能なのだ!!
誰が嘘をつくのか? 主人公か? 脇役か? 演出か?
誰に対して嘘をつくのか? 物語の登場人物に対してか? 観客に対してか? 両者にか?
嘘なのか? ただ気づかないだけなのか?
辻褄を合わせることを優先するのか?
2度目の鑑賞は想定せず、矛盾しようが、大きく間違った方向へ誘導するのか?
作品によって、狙いは異なるだろう。でも私は、繰り返しの鑑賞に堪え、嘘の無いものを観たい。
2018年にジェシカ・チャステイン主演の2本の映画を観て、『女神の見えざる手』よりも、『モリーズ・ゲーム』を支持した。それは、嘘が無いからだ。
![『モリーズ・ゲーム』 監督:アーロン・ソーキン(2017)](https://acting.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/05/mollys_game-1024x426.jpg)
誠実に表現し、主人公の口にしない信念を、終始、語らずに終わる。映画が終わってから、主人公の意志はどこにあったのか、想いをはせることで、ようやく作者の意図に気づく。構成でオフにし、語らないことで、観客に考えさせる。無理に誘導しない。
大どんでん返しが目的ではない。意外な結末は、そこから人物の業が浮かび上がってこなければ意味がない。
『女神の見えざる手』は、2015年に、『メッセージ』は、2012年に『Story of Your Life』として、「THE BLACK LIST」に掲載されました。