検証)1/3ずつ書く『複眼の映像』より

シナリオ三幕構成,小國英雄,銀河鉄道999,シナリオライター,ストーリー,黒澤明

橋本忍さんの『複眼の映像』に、1/3ずつ書くという記述がある。
全体を作ってから書くのではなく、展開の可能性を残すためと、書いてみないとわからないという理由から、1/3ずつ箱を書き、1/3ずつ書き進める。
橋本氏独自のものなのか、黒澤組の流儀なのか、師匠の伊丹万作氏がそうなのかは、わからない。

『生きる』(黒澤明/1952)

年鑑代表シナリオ集1952』では、195頁〜228頁に掲載され、三段組なので、全部で、99段ある。三等分したら、33段ずつだ。

『生きる』黒澤明(1952)

1/3……1段目〜32段目(32段)
ミイラのような主人公が、胃ガンの宣告を受け、今までなにも「生きる」に値することをしてこなかったことに絶望する。唯一の救いの息子は、主人公を気にもかけない。飲み屋でメフィストフェレスのような男に出会い、救いを求める。

2/3……33段目〜65段目(33段)
色と酒の歓楽にふけるが、救われない。そこに部下の「とよ」が現れ、その生気に打たれる。「とよ」から、「なにかつくって見たら」と言われる。勤務先の役所に戻り、公園建設の「生きる目的」に出会う。

3/3・・・66段目〜99段目(34段)
主人公の遺影。通夜である。回想形式で主人公のその後の行動が語られる。

しばしば、中盤で主人公が死んでしまうと言われる『生きる』だが、実際のところは、最後の1/3。まさに、1/3ずつ書いた場合の、第3パートが「通夜」である。

『張込み』(野村芳太郎/1958)

年鑑代表シナリオ集1958』では、12頁〜46頁に掲載され、三段組なので、全部で、102段ある。

タイトル前……1段目〜10段目(10段)……張込み場所への移動
1/3……11段目〜41段目(31段)……張込み 1日目・2日目
2/3……42段目〜69段目(28段)……張込み 4日目・5日目
3/3……70段目〜102段目(33段)……張込み 7日目

導入部を別、と考えるとキレイに分割できた。一週間の張込みを描いていて、区切りの境で、1日ずつ省略している。

『私は貝になりたい』(TV 1958/2008)

2008年の朝日文庫版では、9頁〜176頁の、168頁。三等分したら、56頁。

1/3……9頁〜67頁(59頁)
【前半】主人公の日常生活と召集。
【後半】初年兵訓練と、米兵の処刑。
2/3……68頁〜123頁(56頁)
【前半】巣鴨プリズンに収用されるが、自分が罪になるとは予想だにしていない。
【後半】上官が全責任を引き受け、死刑になる。
3/3……124頁〜176頁(53頁)
【前半】嘆願書の署名が集まる。
【後半】減刑への希望を持つが、刑が執行される。

『首』(森谷司郎/1968)

年鑑代表シナリオ集1968』では、174頁〜205頁に掲載され、三段組で93段。三等分は31段。

1/3……1段目〜27段目(27段)
不審死の相談を受けた弁護士の主人公が、権力側のやりかたに疑問をいだき、現地調査を決意する。
2/3……28段目〜61段目(34段)
権力側の巧妙な隠蔽で手の打ちようがなくなる。最後の手段「首の発掘」を決意する。
3/3……62段目〜93段目(32段)
墓を掘り返し、「首」を持ち帰れるか?

『砂の器』(野村芳太郎/1974)

日本シナリオ大系6』では、69頁〜109頁に掲載され、三段組で123段。三等分は41段。

1/3……1段目〜37段目(37段)
【前半】秋田県の亀田での捜査。
【後半】事件の概要が示され、「亀嵩」の手掛かりを得る。
2/3……38段目〜82段目(45段)
【前半】島根県の亀嵩での捜査。
【後半】容疑者が固まってゆく。
3/3……83段目〜123段目(41段)
【前半】逮捕状が出、犯人の過去が語られる。
【後半】「宿命」の演奏が始まる。

クライマックスは逮捕劇となる。野村芳太郎氏の判断なのか? これは素晴らしい改訂だ。
年鑑代表シナリオ集1968』に未映画化シナリオとして掲載されているものは、親子の情愛の物語として、病床の父親が、息子の晴れ姿を見ることで終わる。そうではない。犯人が自分の「宿命」をまっとうすることが、『砂の器』という映画だ。突き放すことが正しい。


石森史郎さんは『シナリオへの道』で、3日で書くと言っている。これは、1/3ずつ書いていることになる。しかし、橋本氏のように明確な区切りはわからない。【】(1)(2)【】(3)(4)(5)【】(6)(7)の、7つのシークエンスで構成しているからだ。加えて、事前に全体の箱ができている。

銀河鉄道999』(りんたろう/石森史郎/1974)は、三幕構成になっている。『スター・ウォーズ エピソード4』以後なので、プロデューサーも原作者も、ジョーゼフ・キャンベルの名を聞いているはずだ。

Act1】地球:鉄郎とメーテルの出会い(日常→冒険への誘い)
Act2】999号での旅(新しい未知の世界へ)……「機械の体をタダでくれる星へ行く」目的が、「機械の体をタダでくれる星」を破壊することへ変わる。
Act3】機械化星:メーテルの秘密があきらかになる(宝を持っての帰還)

1/3ずつ」を、三幕構成で考えると……

【最初の1/3】 Act1(いつもの世界)+ Act2(新しい世界)の導入部
【中盤の1/3】 Act2 の展開から、Midpoint を経て、Plotpoint の前まで
【最後の1/3】 Act2 Plotpoint(主人公の死)+ Act3(クライマックス)

となり、実は理にかなっている。

『赤西蠣太』(伊丹万作/1936)

伊丹万作全集3』にて、44頁、88段。

1/3……赤西の人物と使命。謀反のくわだてを知る。(30段)
2/3……赤西が急病になり死線をさまよいながらも、謀反を阻止する。(28段)
3/3……赤西は素性がばれる前に藩から去る策をねる。(30段)

『無法松の一生』(稲垣浩/1943)

伊丹万作全集3』にて、49頁、97段。

1/3……無鉄砲だが真っつぐな無法松。見込んでくれた大尉が突然死する。(35段)
2/3……大尉の未亡人から、幼い息子を強うしてくれと頼まれる。(37段)
3/3……子供は親離れし、無法松とも疎遠になってゆく。無法松も老いる。(25段)

と……伊丹万作氏も、1/3ずつに分割できる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
Act 1 Act 2 Act 3
1/3 2/3 3/3

こ、こんな印象でしょうか……(あくまでも私論ですが……)


私は貝になりたい』朝日文庫(2008年)の「序に代えて」で、橋本忍さんは、TV版が放送された1958年の出来事を記している。

東宝で映画化が決り、監督は私がと申し出るとO・Kになったので、黒澤明氏邸へ初監督の挨拶に行った。だが私の差し出す脚本を受け取ると、首を捻り、掌に乗せ、目方を計るように少し上下に動かした。「橋本よ……これじゃ貝にはなれねぇんじゃないかな」

信頼するライター仲間の菊島隆三氏もいう。「えらく評判がいいが、正直にいうと、君の脚本のレパートリじゃCクラス、それがどうしてあんなに評判になるのかねぇ」

』も『砂の器』も、『日本沈没』も『幻の湖』も、非日常の観念に向かって狂ってゆく。けがれなき信念とでも云うような、その人物の論理に向かって突き進む。しかし、主人公の狂気が『私は貝になりたい』には無い。狂気は、戦争や日本国や軍事裁判にあり、主人公にない。「貝になりたい」は現実に対する妥協でしかない。主人公が狂い「貝になりたい」と思うまでに行動していない。狂うことで現実を破壊しない。

橋本忍氏は『切腹』で書いている。
「よくぞ血迷うた、褒めてやりたい」

血迷った主人公こそが映画という特殊な世界で描かれる人物であり、その悲劇性や英雄性に観客はあこがれ魅力を感じる。物語られる価値はそこにある。『私は貝になりたい』は弱い。