シナセンで思う3つの疑問

シナリオ新井一

本科の間は、バタバタと過ぎていったのですが、研修科に移行して、真面目に「どう書くか」を考えるようになって、シナセン(シナリオ・センター)の方針と自分の違いに、気づいてきました。

キャラクター」「へりくつ」「逆算」の3つについてです。

満寿屋 原稿用紙

キャラクター

長い脚本を書こうとして、それを引っぱってゆく強い原動力は何かと、考えた時に(特に長い、テレビシリーズなどを参考にしても)、やはり「キャラクター」だと結論が出て、さらに、マンガをいろいろ読み、やっぱり「キャラクター」が魅力的な作品は面白い、との考えを強くしました。

ところがです。1950年代・60年代の映画脚本を勉強のために読んでみると、そこには「キャラクター」と呼べるようなものはなく、「人がいる」という感じしかありません。しかし深いのは、50年代・60年代です。

キャラクターと言いだして、物語はつまらなくなったのではないか?

キャラクターとは「キャラ化」です。
企画プレゼンで図式化できる範囲に、単純化された人と関係です。

「人間描写」を「キャラクター」と言い換えた時に、何かが抜け落ちてしまっている。「キャラクター」は果たして必要条件なのか?
「魅力的な人物」は必要だけど、それと「キャラクター」は別物ではないか?

へりくつ

対立を起こさせるには、相手に「へりくつ」を言わせるのよ。
なるほどと思いました。「へりくつ」と考えると書きやすい。

しかし寅さんを観ていて、「へりくつ」の限界を知りました。
太地喜和子さんの出る回までを、1作目から読んで、半分くらいをビデオでも観たのですが、シリーズ化されたあたりから、寅の「へりくつ」が鼻につく。
「へりくつ」だから、不愉快で、感情移入できないんです。

対立は「考え方の違い」から生まれて、その考え方の違いは、当人にとっては「正しい考え」である。で充分ですよね。

時間を保たせるための手法、ひまつぶしの手段として、「へりくつ」は面白い。
しかし、「対立」や「葛藤」が、ほんとうに一番大事なのか?
私は、「対立」や「葛藤」よりも、「人を書きたい」。(不遜!!)

シナセン的な「ドラマ」にしてゆく作業が、自分にはしっくり来ず、何か自分なりの定義を見つけようと、模索しています。

逆算

ハリウッドライティングに無くて、「新井一」流にあるのは「逆算」だそうです。
確かに、逆算だと、差が際立つし、目的も明確にし易い。

でもさ、でもね、「目的」持って、人生を進みながらも、「結果」がわからないのが、「人生」なのだ。
「結果」から逆算して、組み立てる人生って、何さ???

「人を描く」とするならば、「逆算」でいいのか?
「逆算」で描けるのは、「おもしろいストーリー」であって、「人生」では無い。

或る目的を持った主人公が、結末でどうなるか、わからないから、書いている。
どうジタバタして、どこに辿り着くかを、知りたいから、書いている。

「逆算」「アンチ」は、わかりやすくて、書きやすいけれども、それって逆に、人生の矛盾とか、突拍子もなさとか、理屈で割り切れない部分とか、いちばん「表現」したいものを、失ってしまいそうな気がするのですが、いかがでしょう?