ジジイにだまされるな!!『東京物語』

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『東京物語』笠智衆

東京物語』(小津安二郎)で、笠智衆は、最後にひとり、取り残される。

それは悲劇である。しかしその原因はどこにあったのか?
社会の状況か? 息子や娘たちが冷たい心を持っていたのか? 運が悪かっただけか?

主人公である笠智衆は善人であり、周囲の人々や状況のなかで、否応なく受けとめなければならない悲劇のように、観客はだまされる。

『東京物語』笠智衆・東野英治郎

東野英治郎と飲み明かすシーンで、笠智衆は言う。
もっと偉ろうなっとると思うてた

息子が東京に出ながらも、たかが郊外の町医者に過ぎないことを嘆いて吐く言葉だ。

息子は、何の努力もしていないのか? 息子自身は自分の生活に何の疑問もないのか?
父親の夢はわかる。父親の願いはわかる。しかしそれを口にできる人は残酷な人なのだと思う。
この言葉のなかには、息子を思いやる感情が無い。
息子から見たら、これは残酷な評価だと思う。

そうだっ! 主人公の周吉(笠智衆)とは クソ!ジジイ!なのだ。

長女(杉村春子)と長男(山村聰)は、ナゼ東京に出ていってしまったのか?

杉村春子が言う。笠智衆は、仕事から帰ってくると、直ぐに飲みに行ってしまう、飲んだくれだった。
山村聰も杉村春子も、そんな父を嫌っていた。
嫌っていたからこそ、「東京」なのだ。
実家は尾道である。都会として出てゆく先が、「広島」でも「大阪」でも無く、「東京」だということは、家から離れたい、逃げ出したということだ。

長男と長女に逃げられた父(笠智衆)は、行動を変え、飲まなくなる。
まっとうになった父を見て育ってきたのが次女(香川京子)だ。
だから京子は、父の味方である。残酷なのは長男(山村聰)や長女(杉村春子)だと思っている。

次男の嫁:紀子(原節子)は、そんなことは全く知らない。しがらみが無い。
笠智衆を単純に、老人と見る。だから優しい。

紀子(原節子)の心が美しいのでは無い。紀子は知らないだけだ。

さまざまな問題を受けとめていた、女房(東山千栄子)が死んだ。
もう笠智衆に逃げ場は無い。ただ自分自身で現実と向き合うしか無い。

身勝手な父親が報いを受け、一人で死んでいく羽目になる
これが『東京物語』のテーマだ。この残酷さがすばらしい。

『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド

グラン・トリノ』の主人公(クリント・イーストウッド)もクソ親父だ。

こどもたちから見れば、孤独さに気迷って、隣の「モン族」のためにヒーロー気取りをした、バカ親父に過ぎない。

この作品のなかで、「モン族」に眼を見開かせられた主人公は、そのことを血の繋がった息子や孫たちには返さない。息子を育てたのは自分自身なのであり、息子の性格は自分自身に責任がある。その息子の子どもが身勝手であっても、それはその息子自身が生き方を知らないのだから当然だ。

断絶したまま主人公は死んでゆく。その意味は、息子や孫たちに理解されることはない。
断絶を肯定したまま物語は終わる。息子や孫は、悪として単純化される。

非道いストーリーだ。イーストウッドには、こんな身も蓋もない話が多い。


以前、奈良橋陽子さんの主催するUPS(ユナイテッド・パフォーマンス・スタジオ)で、当時アクターズ・スタジオの芸術監督であった、フランク・コルサロ(Frank Corsaro)の公開レッスンを見学したことがある。
興味深いことに、フランクは、役者の感情を引き出す際に、常に100%、家族への感情の記憶を使っていた。
役柄が家族と関係無くとも、演じる役者の家族構成など気にせず、いつも状況を家族との関係に見立てた。
いろいろな感情があるが、家族との関係が一番強く、家族との関係でどんな感情をも表現できるという、アクターズ・スタジオでの教師としての経験から得た、指導法だろう。

表参道シナリオ・センターのO講師も、対立について「一番の敵は家族なのよ」と言っていた。

神話の世界もシェークスピアも、家族の持つ残酷さを描いている。
血のつながりこそが、最大のドラマであり、その避けられない現実が、対立と葛藤を生む。

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